ちょっと戦争の話

今年に入ってから新しい勉強をふたつほどはじめたのですが、5月ぐらいからペースダウン。

気候が良過ぎても気が散るし、良いのを通り越して暑くなってくると集中力に欠けます。

勉強の秋とはよく言ったものですね。

あせらず、マイペースで身につけたいと思います。

 

ずいぶん前の寒い時期、ある人を通して「なにが書いてあるのか見てほしい」と、一枚の紙を渡されました。

丁寧にファイルされたその紙は漢字とカタカナが入り混じって書かれた、かなり古いコピーだったのですが、読んですぐ、どなたかの死亡通知書だとわかりました。

そこには、その紙の持ち主の伯父さまの消息が書かれていて、もちろん、それが伯父さまの最後の手がかりであるとはわかっていたそうですが、日本人の知り合いがいると聞いて、急に思い出されたのかと推測しています。

 

その時、20代だった伯父さまは日本軍の捕虜になり、ある南の島から日本の輸送船に乗せられ、日本へ渡る途中に味方であるアメリカ軍から数時間にもおよぶ爆撃を受け、船とともに最後を終えられました。

船には日本兵はもちろん、イギリスや他の国の捕虜も乗っていて、出発した島からはさほど距離はなかったようなので、運と体力で泳いで島までたどり着いた人もいたようですが、それは日本兵、捕虜を含めて8%にも満たない人数でした。

 

見ず知らずとはいえどなたかの最後を知り、紙を持っていた手も震えてきたのですが、書いてある船の名前と爆撃を受けた日にち、そして場所を書いたメモを渡すと、その方から連絡が来ました。

「書かれていた船の名前と日付を頼りにインターネットで調べると、詳しいことが出てきました。ボクも生き残っているほかの伯父たちも、戦争中のことだから彼の命は日本兵によって終わったと思っていたのだけど(銃殺されたと思っていたそう)、いつ、どこで、どのように亡くなったのか、詳しい最後がわかってすっきりしました」と言ってこられました。

その方は家族そろって親日家だそうで「日本人によって最後を終えた」かも知れなかったことを、個人的に恨んだりしていたわけではなく、ただ、戦争だから「そうだろう」と思っていらしたようでした。

 

うちの母方の叔父も、戦地へ向かう輸送船が爆撃を受け、そのまま船とともに生涯を終えたと聞いています。

こういう話が当たり前でないような、平和な世の中を祈りたいと思います。

 

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ありがとうございます。

 

 

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